トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

拝啓、小野田少尉殿

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終戦から27年もたって、まだ戦い続けている日本兵がいたことを覚えているだろうか。小野田さんが24歳の日本人青年と遭遇し、生還するのはその撃ち合いがあってから1年半後の昭和49年(1974年)3月のことである。小野田少尉は何故、鈴木青年に心を開いたのだろうか。遭遇してしまったときの青年の天真爛漫な「いや、単なる旅行者です」と身の上を述べる一言の落差がかえってよかったのか。しかし言葉どおり受け取るほどまさか、あのようなジャングルで。街中で何となくすれ違ったという状況ではないのだ。疑念を払拭させていったのはもっと、もっと、対峙した瞬間に表れた鈴木青年の表情のなかにあるなにかだったのだろうと。⇒

 


りんくうタウン、休日の待ち合わせの時間、早目に購入して読み終えた一冊(大放浪、小野田少尉発見の旅・朝日文庫)から。
(備考)1972(昭和47)年10月20日。「フィリピン・ルバング島で19日朝、警官が元日本兵らしい二人を発見、撃ち合いになり、一人を射殺、他の一人は負傷して山中に逃げた。東京・八王子出身の小塚金七元一等兵と和歌山出身の小野田寛郎元少尉らしい」(厚生省援護局)。
 「君はだれの命令を受けて来たのか」と詰問する小野田少尉
 「いや、単なる旅行者です」。

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続けて著作から~
(出会って間もないが、僕は小野田さんという人が好きになっていた。その人に迷惑をかけるようなことはしたくない。とにかく終始、小野田さんは沈黙していた。僕も押し黙った。やがて小野田さんが、「キミはなんという名前なのか」と。そういえばまだ名前を名乗っていなかったことに気付く。話題を変えたことで、重苦しい空気がホッとゆるんだ。(中略)闇の中でも、小野田さんの顔がギョッとしてこちらに向いたのが、ハッキリとわかった。僕はそれから、日中復交のイキサツ、日本はどうして台湾と断交せねばならなかったのかという疑問をくわしく述べた。「僕としては、中国ともう一度断交しろなどというつもりはない。しかし、台湾とも国交を回復しろ、そういう気持ちなんです」小野田さんは黙って聞いている。話をしながらも、いま僕のやろうとしたことは、(中略)じつをいうと、小野田さんあんたを政治的に使うつもりでいたことを。そして、小野田さんがギョッとして振り向いた瞬間に、僕は自分の先の考えを撤回していたような気がした。卑怯なまねはできない。・・・・)

読んでみて、すこし上の世代とはいえ年齢ではそう変わらないそういう青年がいたんだということに改めて考えさせられたのだ。発見救出を単なる、物好きの成れの果て、偶然さという風に捉える人もあるかもしれない。しかし、こうも考えられはしまいか。小野田少尉からみて、天真爛漫の青年のどうしようもない安心感。これにまいったのではないのかと。青年の問いかけは小野田個人にしているのではないことを。小野田個人へというよりは日本軍人にだ。朴訥とはいえ、青年から発するのはあくまでも日本軍人の対面までを慮って、出てき易いように精一杯の知恵を搾り出そうとしているかのような、考え抜かれた一言一言なのだ。戦争を想像したってわからない、でも大変なイクサを乗り越えて、とにかく生き延びてこられた方なんだという、ある意味先輩に対する謙譲の美徳が端々に。そういう精神の持ち主でもあったからこそ少尉は心をひらいたのではあるまいか。一年数ヶ月前の救出劇のアクシデントというが、戦友小塚一等兵の死は、小野田少尉にとってはまだ、戦争は終わってやいなかったのだから。冒険家=天真爛漫な自由人・そのようにくくられがちなところのあるなかで、たしかに読んでみると自由奔放な旅行記でもあるので多少、辟易してしまう部分もあるのだが、やはり旅行記の愁眉は小野田少尉と遭遇を果たした彼のたぐい稀な飾らない気質と人懐こさが伺えるところだった。「僕は小野田寛朗さんに発見された青年です。」と自虐的ジョークを発している姿も浮かぶ。平成の青年、比して鈴木青年と同年代のおかれている状況はどうだろう。昨今の川柳が時代を多少反映しているとみるなら、このような雰囲気、自分も思わずわらったりしてしまったがよくひねられているなあと感ずるものを列記してみただけでもこのような川柳が。(組織力 なでしこ並の 妻娘)(KARAブーム おれの財布も からブーム)等々
これはまだ微笑ましいのだが。(エコ給与 ハイブリッドな 仕事量。)(「内定です」 返った言葉が 「マジッスカ!」)とくると笑ってばかりもいられない。政治も成長戦略がなければ、経済が縮小均衡、均衡ならまだいいが、泥をかぶらないという風潮も蔓延してくれば、お互いが責任を取らされないようにと、仕事もあんまりしないのに社内遊泳術だけは敏感に。チマチマとした社会。お互いがギスギスの社会になってゆけば若者も浮かばれまい。天真爛漫にはいかなくとも、例えば同じ自虐的トーンにしても心の底から笑える、そういった、少しでもそういう兆しを見つけていきたいものだとも。ちなみに小野田少尉を見つけた発見者の鈴木青年はその後も破天荒な冒険家として雪男を探しに行くと出かけ1987年雪山ダウダギリで遭難され、帰らぬ人に(38歳)。関連キーワード/『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月/たった一人の30年戦争・小野田寛郎著。関連動画_小野田寛郎/1_8 youtube 

 

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