安保闘争後の学生運動の火種は形を変え続いてはいたが、組織に属するということは避けて、心情的左派という、そういう感覚で学生時代を送る
人が多かったような気がする同世代に対する自分なりの見方。
自分はというと、心情的に愛した分以上に、嫌いになっていったなと。
それは、やはり、文化大革命というボロを見せつけられてしまったからかもしれない。
ある人に言わせれば、誤った、指導者によることで、それは本質ではないんだとか。
もうそのころには疑いから、確信に。
理念的にも完全に魅力はなくしていたなあと。
新・映像の世紀。番組感想の続きで言えば
シュタージュからの監視に苦悩する国民、これは東ドイツの崩壊前の映像。
プラハの春、民主化の芽生え。これは、そういった圧政、東側からの離反を目指すチェコスロバキアの動き。
新任のドプチェク党第一書記のもと、検閲の廃止や政党の復活などの改革が行われたが、八月ソ連・東欧軍が介入し、改革派指導者を一時ソ連に連行してしまった(チェコ事件)。
チェコスロバキアで思い出すのは東京オリンピックで女子体操総合の金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカのこと。
その後ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一化され、チェコスロバキアにもビロード革命がおこり、共産党政権が崩壊。
改革の背中を押したのは、ゴルバチョフだったなあ。独り立ちをせよと、梯子を外されてしまったかのような東ドイツのホーネッカー。あの時が転換点だったような。その後は分水嶺のように。
ベルリンの壁、崩壊、また一方でソ連邦崩壊へと続く。まさに舵をゴルバチョフ自らが切ったかのようだった。
日本の志位委員長のもっと前の不破委員長。TV番組でこうのたまわっていた。
東側陣営の陰りの流れの中で
司会者から問いただされて
「昨今の東西で言えば、東側の陰り、どう思われます」
「社会主義諸国の例で言えば、見習うべきところではあえていうなら、ルーマニアですかね。」
そのルーマニア、2ヶ月後、民衆革命によって倒されてしまうのだった。いかにそれまで、チャウシェスクの社会主義独裁国家だったか。
倒れてみて明らかになる恐怖政治。
自らを革新政党というわりには。グラスノチ、ペレストロイカ。新思考外交。このゴルビー旋風の改革の狼煙。その本質にも気付くことなく。
というか、理解できないんだろうな。あらたな世界史的変動を。
リベラル派のゴルビー批判のなかにあって、自分の場合は間違いなくゴルバチョフを羨望の眼差しで見ていたことを振り返っている。
国連pko成立時は当時社共は戦争する国になるとかいいましたけれど、
その後の評価は日本の自衛隊の国際貢献に称賛の声が高いのが実情だ。なになに野党共闘でだと。
昨今の安保法制もそうなるだろうと踏んでいる。
湾岸戦争の頃の指摘、やはり、歴史学者、林健太郎の「~警告」どおりだなと。