トトヤンの家庭菜園

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人道の港 敦賀

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過去の夏に訪れた小旅行先。

中央アルプスとかの山岳コースでもなく、海水浴キャンプ先でもなく、どちらかというとダークツーリズムっぽい行先。

人道の港 敦賀 ムゼウムのほうに行ってみることに。杉原千畝記念館岐阜県八百津町) のほうは、また、機会があればということで、そのときは敦賀に。


資料館で、映像を通して学ぶことも。

カウナス駅で「スギハラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」と叫んだかつての青年は、新生イスラエルの参事官となって、杉原氏を探し求め、会いにきたという一コマ。


ニシュリというユダヤ人が、杉原氏を訪ねてきます。ニシュリ氏は、命のビザで助かった6,000人のうちの一人で、28年間杉原氏を探し続け、ようやくその消息をつかんで訪ねてきたのです。

杉原氏に会ったニシュリ氏は、「私を覚えていますか」と問いかけますが、杉原氏は、彼が誰だか分かりません。2,000人ものユダヤ人へのビザを書き続けた杉原氏が、彼のことを覚えていないのも無理はありません。

ニシュリ氏は、涙を流しながら、ぼろぼろになった紙片を取りだし、「あなたは私を忘れてしまったが、私たちは片時たりともあなたのことを忘れたことはありません。28年間、あなたを探し続け、やっと会うことができました」と言って、杉原氏の手を固く握りしめます。

ぼろぼろの紙片は、杉原氏が28年前に、ニシュリ氏に発給したビザだったのです。

 

 

ユダヤ難民の窮状を救った、杉原も偉いもんだと思いましたが、オランダの領事ヤン・ツバルテンディクの勇気ある決断にも。

もし彼の決断がなければ、杉原氏がビザを発給することは不可能だったでしょうから。


それに、大事なのは敦賀の無名の人々の温かい迎え入れと善意にも支えられて、こうしたユダヤ難民の逃避行が滞りなく行われたこと。

これは、記念館の展示資料で知ることになりました。


過去の夏の小旅行を振り返りました。

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