トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

ブックレビュー②(2015~2017)

目に留めてみたTV番組と、振り返る書。

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ベトナム男性)『日本の学校で、僕、クラスのみんなの話についていけなかったですね。』

1964年、サイゴン生まれ。17歳(81年)のとき、ボートピープルとして脱出、3か月香港にいたあと日本へ。上智大学理工学部に。
南の軍人だった父は戦争終結後、再教育キャンプに送られる。

ラオスの女性)1960年、ルアンブラバン生まれ、9歳のとき、父が亡くなり、10歳でビエンチャンへ。
貸家業と美容院を母が経営し、一家を支える。中国系の中学校を卒業後、アメリカンスクールに進んだが、75年の革命で閉鎖。
2年間、学校は行けず、3年目に、まず母がタイへ。79年に母を追って兄弟全員が出国。タイ、ノンカイのキャンプを経て来日。
来日後、ボランティアの人の紹介で、埼玉県戸田市の病院にヘルパーとして勤務。毎日、婦長さんから日本語の特訓を受け、国家資格を突破して、現在は正看護婦として勤務。
『今が一番幸せ』

 

 


(ミャンマ旧ビルマの男性)家庭の事情で父の自動車整備工場を受け継ぐ、私費留学生として来日。『ビルマ人が外国で5人以上あつまることは禁止されていたことを想うと不思議な感じがします』。

 

 

カンボジアの男性)1957年プノンペン南の村カンポット生まれで、父母は金細工の店を経営。9人兄弟の4番目。高校一年のとき、ポルポト政権によって家族はバラバラとなり、ベトナム軍が入ったあと再会するが、母のすすめにより、単身、タイを逃れ
、 カオダイキャンプ、チョブリンキャンプを経て82年4月来日、難民定住センターで、三か月過ごした後、栃木県の鉄工場、横浜のプリント基板会社などを経て、相模原市のプリント基板会社に勤務。その後結婚。『戦争がなくて、自由があれば頑張れる』

 

(台湾の女性)台北市生まれ。高校卒業後、台北のホテルのフロント係として勤務。宿泊客は日本人が多く、そのころから日本に興味が。
『将来は日台の貿易関係の仕事に就きたい。』

(ソウル出身の女性)
『演劇の仕事を続けていきたいと思っています』

 

 

 

 

 


探検バクモン SPECIAL ニッポン多国籍時代!異文化のるつぼ「東京都大久保」で多 国籍ワールドに大潜入!

TV録画再視聴きっかけに、振り返る書が、ダイアモンド社から出版されていたアジア・インタビューで、それがこのように記してきた内容。

 

NHKの探検バクモン、番組は好きなんだけれど、爆笑問題太田光とは、それまでのトーク番組からもわかってはいたんだけれど、(ノー天気な安保法制反対とか、護憲だとかの意見、好きになれなかった)面を考えれば

多分、政治的意見は同じくすることはないだろう。それでも、

世界の人と仲良く、今住んでいるところを住みやすくという、この東京の大久保の潜入取材は面白く拝見したので印象に残している。

その思いと重なるように思い起こすのはかつて自分にとって影響を受けた書、アジア・インタビュー(象の会)のこと。

 

国情の違いはそれぞれにあっても、人間の優劣があるわけでなし、それぞれに、幸せを求めて、地球に生きる人間なんだという視点を再確認。

 

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