トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

太宰「走れメロス」と都議選



メロスは起き上がり、走り始めた。メロスは走りに走り、いよいよ今にもセリヌンティウスの刑が執行されようとしている刑場に着いた。メロスは間に合ったのである。 メロスは友を一瞬なりとも裏切ろうとしたことを恥じた。
 選挙ということで、投票をまえにして、各党党首の走りを報道で見ながら、なぜか、文芸作品の古典、「走れメロス」を。
 有権者への訴え、支持を叫ぶ各候補。走り回る姿はメロスでもあるけれど、投開票の瞬間はセリヌンティウスの心境でもあるわけだ。
 彼が、信ずる、一票、一票は、まさに、間に合うかどうかなのだ。
 期日前にしろ、当日投票にしろ足を運ぶ、有権者の一人、一人が今度はメロスの側なのだ。

 太宰治の友人であった檀一雄は「走れメロス」を読むと熱海事件を思い出したという。<待つ方がつらいか、それとも待たせる方がつらいか>
 「走れメロス」のこの作品を生んだ背景には金詰まりに困っていた笑うに笑えないような太宰の可笑しい実人生も反映しているのだが。

 優柔不断の太宰。人間の信頼と友情をテーマにした、爽やかで感動的 な物語。だけれども、ともすれば「くさい」と言われかねないテーマ。
 何回となく読むと、太宰の嘆きに似た声が聞こえてきそうである。
 社会不信、ともすれば、人間不信に陥りやすい太宰が、そうじゃないだろうと、自身を鼓舞するつもりで描いた作品が「走れメロス」ではなかっただろうかとも受け取れるのだ。
 「人間失格」という作品筆頭に人間の負の面を描いた作品のほうが評価の高いのが太宰作品の特徴だ。
 弱さや、卑怯さ、悪徳が描かれているほどに作品に魅せられてしまう要素はある。だからこそ、彼の作品群のなかにある、この一作「走れメロス」はまぶしくもある。