トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

老老介護

f:id:bookcafe911:20170303223100j:plain

「ときに、○○さん、お元気ですかねえ。」「ああ、また来るらしいですよ。ちょっと、用事で。」「へえ、そうですか。また、呼んでくださいよ。私も交えてどうですか。楽しい皆の話が聞けそうな、そんな予感がしていますよ。」
振り返る、新和歌の浦の景色。


遠くの親戚より、近くの他人という言葉があるように、ご老人にとってはkが近隣の人間では馬があったのだろう。
世代からいえば孫にあたるかもしれない。世代を超えて馬があう人間だったのかもしれない。
「夫婦そろって、同じ方向、そういう感じですなあ。」そう語りかけようとするご老人。
ご老人にとっては今が青春なのかもしれないのだ。
ご老人は元気で、健康というのが幸いして、人付き合いが苦にならないのだ。
頭もぼけていない。新聞も隅から隅まで、読む習慣が身についている。
芸能、スポーツ、政治、すべてにわたって好奇心もある。


ご老人のことを思い浮かべている。
友人kの近隣にいたご老人のことを。
できるだけご老人の側から眺めてみようと思う。
kのほうでは、ボランティアで、パントマイム、手品、短歌の交換会だったりの打ち合わせの接点が両者の会話のはじまり。
おじゃましたときに老後の幸せは?という番組などにふれるときが。
画面では、まだまだ老人とはいいがたい人たちが元気に語り合っている姿。「幸せって、それは老後のお金と、やはり、連れ添いがいることですね。老後の幸せ像です。」
そう語っている画面にむかって、「まあ、そうあれば、幸せだろうな。」とご老人。連れ添いも亡くなり、一人住まいの期間を経て、近くは、介護施設に。
ご老人かつては、介護施設を運営する側。
「孫のようなあなたたちから見れば、わたしたちのしていることは老老介護のような姿ですよねえ。」「いえいえ、すごいことだと思います。なにより、お元気だし、溌剌としていらっしゃる。お手本のようです。」
介護施設の運営をしてみませんかのニュースを耳にしての応募に名乗りをあげたのがきっかけという。老人なりの楽しみって決めつけられたメニューをならべられてもねえ。ご老人は多少気色ばんでいたかもしれない。チームを立ち上げるために走り回るなかで自身の体調不良。それまでの一人住まいの身から、自らも集団の介護施設の輪の中に。今度は自らも含めての過ごしやすい望みの空間はと思念が止めどなく続いていく。


ご老人の発言の断片。確かに聞いた。ちょうど時期でいうと、国内では佐川問題、金融疑獄が続いていたし、並行してPKO派遣論議もすすめられていた、ちょうど、そんなころのkとのはじまりだった。
なにげない世間話がいちおう済んで、ご老人のほうから。「それはお金は少ないより、多いにこしたことありませんよ。でもね、kさん。わたしなんか、そりゃ、年金で、いいたいこともありますよ。でもね、いいですよ。もっと思うのは、日本の外交ですよ。政府開発援助って、どこまで理想にかなったようにすすめられているんでしょうねって、そういうことなんですよ、思うのは。反日デモ。どう思われます。大使館があのように損壊されても、まあ、おくゆかしい日本であることよ。
出す以上国益にも叶った形で。どう思われます。私らは複雑なんですよ。中国と北朝鮮、どういう関係か、お互いに友好をときに披歴しあったりして。
日本はあの北朝鮮とどのような課題を抱えています。思いませんか。拉致問題。それに中国との交易、盛んになるのはいいとして。
なげかけられたkにしても自分にしても、中国関連では屈折した意識にあるのだった。
当時、ご老人、世間の話題もODAにからむ汚職問題もあってか、kにふってみたかったのだろうと。
ご老人の内面では様々な葛藤が繰り返されていたに違いない。
「官僚答弁、聞いたか、聞いていたら肝心のところでボケよるぞ。わからんか、君たちのほうが若いのにふところが深いんだなあ。」
ご老人の発言を簡単に解釈してみたりすると、知らない人などはかなりアナーキーなと誤解してしまうきらいもある。
これなどは自身が役人として生きた証のような発言で、皮膚感覚で役人の生態を戯画化してみせる、いわば彼の癖なのだ。
「昨今の、官僚たちのモラル・ハザード。一方バブル崩壊とともに露出した金融関係者の脆弱さ、同時に少年たちの猟奇的な殺人事件。あれはなんですか。オウム真理教信者の犯罪の数々。」これなどはご老人なりのするどい言説のひとつで、他にもこうだ。「責任ある政治家の不用意なというか、ときには確信的な発言が、近隣アジアとの摩擦を引き起こしている。その結果はというと、閣僚の引責辞任、歴代首相の謝罪。私らにとっちゃあ、割り切れなさをずっとずっと繰り返している。」戦争を経験してきたものと、自分らkらのように平和の只中に生きてきたものとの、それが違いではないか、というご老人なりの言いたいこと、それがそれ以外のことでも言外に含んでいるかのような。
「ああいうが踏絵みたいに、そもそも議員に選んだのは政策の実行だろが、参る、参らないを公約にするなんておかしすぎるんだ。そのような喧騒自体が英霊も迷惑。参る人は純粋に静かに参ったらいい」
ご老人、戦争をはさんで、多少、屈折しているかのような。集団への懐疑というか。敗戦をつうじて一旦はあいそつかした国。それでも、戦後の経済復興に社会の構成員として忠実な組織人ぶりを発揮してきたことだろうと推測。クラスメートの半分が戦死。
「わたしなんぞは、引き換えし不能な洞穴の中へ進撃を命じられたような戦だった。学徒兵」
この短い一言に集約されている内実を推し量っていこうとしている。それは等しく青年がむきあったであろう課題。日本、そして世界が大戦争へと向かっていく時代に精神形成期を迎え、戦争のさなかに国家とはなんぞやという命題にぶつかり、煩悶しながら戦場に赴かなければならなかった青年の思索。
その思索も年老いたとはいえ老人の内面ではつづいているようなのだ。
平和に対してなにか一言頂戴できませんかなどと、事前に頼みにいくkでもあったから、それ相応の老人の側としても興味が。
ご老人の観察は続いている。
ご老人の生きてきた人生のなかには信仰というものがあるとしたら、恒心なければ、恒産なしというモットーだろうか。
そういういいまわしが彼にとっての信仰というに近いものだったかもしれない。
kみたいな世代はどう将来を考え、なぜ、そのような触れ合いを。
古い世代の人間が、世の中、懐疑的にみつめるようでいて、若い世代のそれも合理主義者のkみたいなものがいたく楽観主義ですすんでいるようにみえて、それがたまらなく、老人にとっちゃ、また茶化したくなる、というふうであったかもしれないなあと。