トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

大都会の砂漠

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絵画展をキッカケにふたりのデートは鎌倉の大仏見学、浅草あたりまでの海上バスでの舟遊び、東京ハンズでのショッピング。渋谷、新宿でのミュージカル観劇と。その後飽きずに何度も行ったのは神田界隈の古本屋廻り。「シモン、これ読んでみないか。」差し出されたのは大佛次郎著『パナマ事件』だった。「オサラギ・ジロウ?」   ときに話題は中東全体におよぶことも。ふたりとも日本語で考え、日本語で語ることがすでに自然になっていた。ナセル主義を継承しようとしたサダムが暗殺され、近くはイスラエルのラビン首相の死。「流血と涙はもうこれで終わりにしよう」とラビンが呼びかければ、「世紀の受難の終わりの始まりにしたい」とアラファトが応じたのだった。あの感動的なシーンからまた逆戻りの受難の様相が中東全体を包んでいる。かつてスエズ運河国有化をナセルが決めてから、フランス・イギリスが怒って軍を差し向けたことを思い起こしている。カセムの信望するナセルの一番追い出したい西欧列強はシモンの母国フランスでもあったわけなのだ。だから「西欧列強と闘った日本」。これがカセムの日本にあこがれた理由のひとつでもあっただろうと。国内でのクルドの現実を見せ付けられ、それがためでか虚無的に見える一方で、人びとを結び付けようとする汎アラブ主義のナセルを密かに慕う少年だったことも見えてくる。シモンのみるカセムの取り巻きのイラク青年はよそよそしい。打ち解けた印象ではない。一切の政治的発言もしなければ、そういった話題がでようとすると避けるきらいがあった。料理のレシピづくりを手伝う姿も本来の仕事のかたわらでとにかく稼がなければという感じだった。今から考えればそういった反応も理解できるシモンでもあった。日本に来てからも、どういった拍子の発言が独裁政権のほうでどう捉えられるかわかったもんじゃないという彼らなりの防衛本能も働いていたのではないだろうかと。カセムの友人関係にもっと眼を凝らす。その点、カセムの住んでいた上の階の友人、Uとかその前の住人の渡辺なんかはフランクだった。「尊敬すべきメソポタミヤ文明を背景にもつカセムさん、カセムさん。ちょっとお尋ねしますよ」とか、「カセムさん。今、僕の友人たちとお茶会してるんだけれど、仲間にはいらない」とか、たちまちにして、カセムが彼らに惹かれた理由もうなずけるのだった。それまでのカセムは多分日本に憧れてきたものの、そういう日本人には出くわしてはいなかったろうと思うのだった。せかせかしたビジネスマン。ひっきりなしに出入りする地下鉄。高層ビルと消費社会。関心事は個人の損得勘定に収斂され、ただただ石油文明の恩恵にあずかりながら中東の文化に無関心な人を見るばかりの日本。そういう日々ではなかったかと。シモンはカセムがもうもどるべき故郷のなくなっているという現実に目をこらしていた。彼の能力は何に使ってゆくというのだろうか。都市工学。勉学の意味。最近の歴史懐古趣味。日本礼賛。彼の父はイ・イ戦争を有利に導くための関係国づくりの相手でもあったフランスへの遊学を勧めたらしいが、彼の選んだのは日本だった。有利な武器を運んでくれるのはフランスであって、日本ではない。しかし、日本は中東地域から一番石油を買い上げてくれる国でもあった。戦後の目覚しい戦勝国をもおびやかすその日本の国力の復興ぶりと勤勉で慎ましやかな眼差しはカセムの心の琴線にひびくなにかであっただろうと。

 「それより、シモン。ずっとこのところ、旅行らしき旅行もしてこなかったし、瀬戸内の方に行きたいのだけれど。どう?」「ほんと!うれしいわ。で、なぜ瀬戸内なの。」「実は瀬戸内にある大久野島というところにいってみたいんだよ。」シモンにとってそんなカセムからの提案は唐突で意外だった。シモンも気晴らしがしたかった。日本の地方をまだ知ってはいなかった二人。東京にずっといて東京から日本を判断して東京に住む住空間から人々の発するシグナルを共有していたきらいがあると常々感じていたからだ。「そう、肩肘はらないでくれよ。ユックリ、行って、じっくりみて帰ってきたいんだよ。」
 「カセム、スキよ。大好きよ。」シモンは旅支度にさっそく、何を着てゆこうかと頭の中は回転しだしていた。そもそも、アルカイダではないけれど、他国に潜伏しその国の信用を得るためにカメレオンになれるのがスパイだとしたら彼こそはそれではないかと疑ってみたこともあった。決して、彼が不誠実の人間ではないことはわかったが、シモンはカセムが誠実であればあるほど、その傾倒してゆく、彼自身の内面葛藤の内側のほうを知ってみたく、どうしても神学理論とか社会学の分析理解を引き合いに、なぜアジアに執着するのかを解明してみたくもあった。カセムはどちらかというと他のイスラム青年のような生活力はない。カセムがいいとこのお坊ちゃんであったのにくらべ、周りの彼らのほうはしぶとく、我慢強く、転んでもただでは起きないふてぶてしさがあった。取り巻きの彼らのほうはイスラム教は生活の糧であり、集まりは生活の互助組織であることはシモンの目からもあきらかであった。それを拒むカセムでもなかったが、もっと高位の精神性、哲学面のほうに飢えていたカセムであったので、好んでUとか渡辺とかが語る議論のほうに魅せられたのだろうと。カセムの言葉、「敬いこそすれ」にも表れているように思えるシモンだった。シモンの今までの理解ではキリスト教を改宗してイスラムに入るのがイスラム青年との付き合いの鉄則であり、彼が東洋の哲学に傾倒しだしていることがなにかの間違いではないかと思っていたからだ。シモンはカセムの気持ちをただ知りたいと思っていた。シモンの見つめてきたカセムの印象は様々に変形していく。よく考えれば自分には両親がまだ健在だが、カセムには亡くなっていない。戦争での父親の死亡の報せは日本で、それもかなりあとから知ったとのこと。彼にはもう戻るべき故郷はないといった雰囲気だ。もっともっと彼の孤独の深さを知りたいと願った。その原因はシモンからみてカセムの一種独特な特権階級に属していたところから派生するなにかであることに気付く。カセムの日本にやってきた当時の友人は同じイラク出身の出稼ぎ青年だったし、故郷をたまたま同じくする幼友達であったし、学友だった。彼は夏の休暇を通じて彼らの属している派遣先業の指示で清掃の仕事に就いたりしたこともあったという。学業のかたわら、日本の就業慣行を肌で知ることのなかから日本との関係をまた世界を見つめるカセムであることを知る。だから、シモンのカセム像は知らない事実を加えることによって多少は変化してゆくのだった。カセムにとっての同じイラクの友人のもの足りなさの理由もすこしく想像できるのだった。カセムの前では取り繕ったように故国に対する忠誠的言辞をあえて証明するかのように述べる彼ら。カセムの父が当時独裁的国家に多少とも連なる特殊なテクノクラートだからだろうか、カセムのほうでは周辺でのそんな迎合の仕方に比例するかのように落ち込んでいくのだった。人間的な真の対話はどこに。
 彼がいつか告白した独り身の頃の話。思い出す。まだ店をもつ前の頃のこと。仲間の語らい「カセム。東京のどこにも故国をおもわせるような景色はないな。」「そうだな。そのとおりだな。」カセムはそうつぶやきながら仲間にまじって身体をうごかしていたという。カセムは屈強な彼等とちがって、力仕事は慣れなかったはず。常磐線南千住駅から山谷。仕事は建設現場でのコンクリート仕事と穴掘りと雑役、片付け。手配司を囲んで何人かの顔見知りもできた週末は、みなそれぞれにひとかどの個性の持ち主であることを認識したという。宿でのことと日中のことが交互に織り成すように語られてもいた。仕事における知識や能力の欠如が見いだされると、多くの山谷住人は決して見逃さず、相手を小ばかにし、「そんなことも知らないのか」というのが常だったらしい。世の中、常に自分に訪れた他人に対する優越性を事あるごとに確認しないではいられないという人もある。他人から、尊敬や羨望を受けたことのない裏返しでもあるかのように。露骨にそれらの態度を示されるとカセムのほうもさどかし辟易だっただろうと。ギャンブル好きの人。巨人ファンの野球好きの人。政治好きの人。話題はそれぞれ。さしづめ、カセムは皆から、なにをかんがえているか解らないやつだぐらいは思われていたかもしれない。日本人の大半は労働センター常連組。外国人であることが一見してわかるカセムらは正面から求職するわけにはいかない。手配司がかなりフトコロをあたたかくしたようにみえたのは大企業も安い労働力を求めて外国人就労者に頼る傾向に加速度を増した結果なのだろうかと分析めいたことを。イラク青年はおしなべて差別や偏見のなかで暮らしている。カセムは父のスネをかじって日本に来たが、同郷の彼らは爪に火を灯すような生活をしながらまだ、故国に仕送りまでしていたのだ。彼はいった。俺はわずかの期間だが、彼らはいつまでも続くのだろうと。そう思うと傷だらけになった手。作業中にしてしまった火傷の痕などをみながら、現場で投げつけられた言葉を思い出すといっていた。「代わりならいくらだってあるんだぜ。」でもそのときカセムは新しい住まいで出会った学生渡辺の言葉を想起したという。「偉大なあのメソポタミア文明を背景に持つ国から来られたということですよね。カセムさん」彼がこの言葉をくれたのだと。最大の激励ではないのか。異国でのたったひと言が励ましになっている。そういう励ましの言葉をくれた彼らを裏切ることはしないようにしよう。そう誓ったという。相手を尊重する姿勢がそのひと言にあらわれていることに間違いはなかったという告白。当時のふんばるカセムの姿を想像している。

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