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トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。

強く、思い続けること。

日本人の彼とハンガリーの友人、アメリカの友人とが化学式の亀記号を駆使しながら研究の眼で、熱く語り合ったように。例えていえば、こんな感じ。学術がそれまでの感じていた物理的距離を近しいものに。コミュニケーションの触媒は、人間を人間らしくさせるのに、一役買ってくれている。未来に期待するのは、この種の小さな親しみ易い規模の共同体を創っていくのは決して不可能ではないことの体感。共同でなしえたひとつの成果に国籍や文化的背景の違いは、何の障壁にもならなかったことの証。解を説いたそのときの感激は、まるで、兄弟のように、お互いの肩を抱き合う様を見た。思想と理想は提供されるものではないことを。飛び込んで触れ合って学び取るものなのだということを。一行中、唯一の日本人と気付かれると、いっそう愛嬌を振りまきながら、ワインを注いでくれた。だから彼は決意する。それまでの恩を、胸にと。彼の周りでは三人の楽師がジプシー風の踊りを奏で始める。ほろ酔い気分の彼は、フォスターの一節を歌い、大いに彼らの人気を博していた。歌と楽曲をつくる音楽家も、人類を結び合わせていく、大切な存在として語られていく。先の楽師の音色はトルコ、インド、あるいはアラブの様式にも似ていたという。裏方のほうでもそういった国籍を超えた楽団仲間のグループの繋がりのなせる友誼なのか。その繋がりからダイアスポラという語彙が。ジプシー風の踊りの奏者の約し方はダイアスポラは、ムスリムという語彙に変わるのかもしれない。アメリカにも、欧州にも、インドにも、東アジアにも。いたるところに。少数かもしれないが、旧知の間柄でもなかったけれど、思想と理想を語るなかで理解し合える繋がり。音楽が言葉のカベを越えたように。彼と彼らは、いつの日か、あらゆる人々がすくなくとも三つの社会に属する時代がくることを期待している。まずは、世界社会の一員、世界市民として。次に、彼も含め世界都市の地域的(小区)の一つに、属する一員として。地域共同体ではお互いに知り合っている場合もある。そしてその上、第三に、彼は世界的ダイアスポラの一員となることに努めるのだ。そして、このダイアスポラ(diaspora)もお互いが個人的に知り合える程度の少人数で構成されていくのだ。程よい距離感を保ちながら。たとえ仲間は地表各地に広く散在していても。意思の疎通は可能だと。直接顔を合わせることのある場合も、そうでない場合も。IT技術を通じての、顔を見て語り合える場合だってある。他方で、成員同士の関係を個人的に保ちうるほど小さな共同体メンバーとして、生きながら、多くは企業人として生活し、世界市民としての発言も欠かさないという、一種、二重、三重の趣のある生き方。今、浮かぶダイアスポラの夢、戦争とテロのない平和な世界。網の目のような形で包み込むようにして発言し続けること。
テロは断じて許せない。許さない_と。(アルジェリア人質事件の報に接して以降、様々なテロ事件、起こるごとに思いつづけること。)社会学上の概念としての考察。《diaspora》