トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

サラリーマン川柳

振り返るサラリーマン川柳

◆あれもやれ 残業するな これもやれ
◆キミだけは オレのものだよ マイナンバー
◆「今帰る、」妻から返信「まだ、いいよ」
◆「定年後 帰りは何時 聞く側に」
◆我が家でも 「温めますか」と 飯が出る
聞かなくてもよくないそれ?コンビニじゃあるまいし。

定年や退職をテーマに夫婦のきずなを感じさせる作品が選ばれる一方で、「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」という作品もありました。
他人様の作品に感じ入るばかりですが、それあるよなあ_という気持ちから、画像を付けてセレクトしました。
愛飲のビールと、妻からの究極の義理チョコです。


◆『本物の ビール3本 わが爆買い』

◆『義理チョコに しては高価と 胸騒ぐ』

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おろかなるひとり言

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休日のちょったした軽い山歩き。

 

 吉田拓郎の歌のフレーズ思い出す。おろかなるひとり言。


 丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある

 

そして、二番目の歌詞は小さな自分がそこにある。というヤツなんだけれど、

なつかしく思い浮かべてみた今日のお昼の風景です。

スイセンの花に出逢いました。

www.youtube.com

 

 

アベノミクス批判は当たらない。トランプさん、わざと?

TV番組、新・映像の世紀_第2集 「グレートファミリー 新たな~」で、紹介されたケインズ の言葉を印象に残しています。
「今、我々がそのただ中にいるグローバルで、かつ個人主義的な資本主義は、成功ではなかった。それは、知的でなく、美しくなく、公正でもなく、道徳的でもなく、そして、善ももたらさなかった。だが、それ以外に何があるのか_と思うとき、非常に困惑する」


記録映像の数々はヘレン・ケラーがロックフェラーを批判しているところから始まります。格差が広がっており、デモが頻発していました。

9000人の労働者がストライキを起こし、スタンダード石油は鎮圧部隊を動員し、その際、死者を出します。
「ロックフェラーは資本主義のバケモノだ。慈善事業の裏で、無力な人たちが、殺されるのを許しているのです」

しかし、ロック・フェラーは意に介すことはありません、戦車、飛行機などの兵器や車も石油で動いていました。もはや、ロックフェラーの石油なしには世界は動かなくなっていました。
「どれほど、非難されようとも、我々は世界に伝道を行ったのだ。これは間違いようのない事実だ。富を気づく才能は神からの贈り物だと思う。こうした能力を最大限に伸ばし、人類の幸福に役立てよと神が与えて下さったのだ」ロック・フェラーも主張します。
景気の過熱感を懸念するフーヴァー大統領
「現時点では、わが国の経済がコントロール不能に陥っていると示唆する要素は何もありません。我々は、世界で最強の富と確固たる未来を持っています」モルガン商会
その5日後のこと、


「リディア。ウォール街で株価が暴落した。新聞で読んだだろう。史上最大の値下げだ。今日は一日中、経済のことだけ考えさせられて、うんざりした気持ちでいる」ケインズからリディアへの手紙より(ケインズは、当時有名なバレエダンサーと結婚していました。)
GMや、USスチールなど、有力株が軒並み半分にまで暴落。一週間で数百億ドルが消え去りました。借金をして、株券を買っていた人たちは、返済を迫られ、次々に破産していきます。

石油王ロックフェラーは、絶望する人々に向けてメッセージを発します。
「長い人生には、大恐慌や繁栄が波のように繰り返しやってくるものだ。神と人間性を信じ、勇気を持って進もうではないか」

その後、金融王J・P・モルガン・ジュニアは、議会の聴聞会に召喚。
過剰な投機熱をあおり、自分は資金をいち早く引き上げ、被害を免れたことや、脱税が追及されていきます。

 


サブプライムローン崩壊からの再生に向けての世界経済の流れ。
二重写しのようにバブルの繰り返しを見させてくれてもいるかのような番組でした。
日本経済もアベノミクスでどこまで再生を図れるのか。見定めていきたい。


野党はアベノミクスに反対するが、全否定しまってよいものだろうか。成功している面を見ようとせず、それはないだろう。

経済指標が確実な改善を遂げてきた点に分析のメスを入れて解釈していくことも望みたいもの。


いよいよ、与野党の論戦が始まるんだろうが、アベノミクスに不満な点もあるけど、どこの野党もまともな代案が出てこないなら、これじゃ、野党は勝てないだろうなあ。

これからあわてて代案を作るようでは遅すぎるぜ。野党があまりに情けないから安倍政権を支持するほかない。
よくある「消去法で考えると安倍政権しかない」というやつ。


なぜ野党の話は無責任で魅力が感じられないのか。安保法制論議で、深める議論もできただろうに戦争法などとのレッテル張りには、ちょっと呆れてしまったこともその大きな一因かも。
そっちのほうは心配していなくて、肝心なのは経済の方だとおもうんだけれど、経済学をかじった人間としては欲する政策に比較的近いのが安倍政権であるちゅうだけのこと。

数値的に見る限り、経済の改善は非常に単純に言えば、これは金融緩和の効果が効いているからで、緩和で増加したおカネをどのような流通経路を通して市場に循環させるかは異論あるが、とにかくおカネを増やして循環通貨量を増やせば、市場における財の交換量が増える。
この金融緩和はFRBサブプライムローン崩壊の直後から始めていることでもあり、米国の景気回復という形で推移してきている。

ところが、金融緩和をするなという政党があるんだなあ。しかも、金融緩和をせずに市場に循環する通貨を増やす方法は提案していない。
とにかく金融緩和は止めろという。止めた場合の代案もなし。これでは話にならない。

アベノミクスの方向を否定せず、アベノミクスの上を行く態度が必要なだけの話。

アベノミクスに反対する必要などない。足らざるところを指摘し、アベノミクスの上を行けばよいはず。

アベノミクスの欠点を補う方法をビシッと提案すりゃいいのに。

第一の矢はマネタリズム、第二の矢はケインズ経済学、第三の矢は新自由主義経済学。その点アベノミクスの各政策は、基本的にはマクロ経済理論に裏打ちされているから一応、好感できるんだなあ。
対抗する野党から聞こえてくる経済政策ってある?。
経済政策っていえるかどうかだけれど、聞くのは、めいめい、議員の言っていることはマチマチの枝葉の政策。
しかも理論に基づかない政策となると、都合に合わせて勝手に解釈が変わる可能性が高いため信用できないなあと受け取らざるをえないんだなあ。
(期待していないというのが本音のところですが)野党共闘というなら、そういうもの聞いてみたいんだけれど。
既存の経済学体系に基づかない方法であったとしても、何らかの形でマクロ経済的に説明ができるはずでもあるからネ。

コーヒーメーカー

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ながらく調子よく使っていたのが、突然液漏れの故障。大事に喜んで使っていたのに、こりゃ大変、修理に出さなきゃ。
 壊れたのはプレゼントされたコーヒーメーカー。親へのサプライズのつもりもあったろう、社会人になった息子からの感謝の気持ちの込められた品なのだ。
 。贈り物の包み紙で、販売店がわかる。問い合わせしてみたところ、直させてもらいますと引き取りに。メーカーから三日後に直って届いたのだった。保証書、大事ですよね。3点ばかり交換された明細とともに。修理費、無料。いただきませんと、全面サービス。こりゃ助かる。
 顧客満足デロンギ・ジャパンさん。ありがとう。
 

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拝啓、小野田少尉殿

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終戦から27年もたって、まだ戦い続けている日本兵がいたことを覚えているだろうか。小野田さんが24歳の日本人青年と遭遇し、生還するのはその撃ち合いがあってから1年半後の昭和49年(1974年)3月のことである。小野田少尉は何故、鈴木青年に心を開いたのだろうか。遭遇してしまったときの青年の天真爛漫な「いや、単なる旅行者です」と身の上を述べる一言の落差がかえってよかったのか。しかし言葉どおり受け取るほどまさか、あのようなジャングルで。街中で何となくすれ違ったという状況ではないのだ。疑念を払拭させていったのはもっと、もっと、対峙した瞬間に表れた鈴木青年の表情のなかにあるなにかだったのだろうと。⇒

 


りんくうタウン、休日の待ち合わせの時間、早目に購入して読み終えた一冊(大放浪、小野田少尉発見の旅・朝日文庫)から。
(備考)1972(昭和47)年10月20日。「フィリピン・ルバング島で19日朝、警官が元日本兵らしい二人を発見、撃ち合いになり、一人を射殺、他の一人は負傷して山中に逃げた。東京・八王子出身の小塚金七元一等兵と和歌山出身の小野田寛郎元少尉らしい」(厚生省援護局)。
 「君はだれの命令を受けて来たのか」と詰問する小野田少尉
 「いや、単なる旅行者です」。

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続けて著作から~
(出会って間もないが、僕は小野田さんという人が好きになっていた。その人に迷惑をかけるようなことはしたくない。とにかく終始、小野田さんは沈黙していた。僕も押し黙った。やがて小野田さんが、「キミはなんという名前なのか」と。そういえばまだ名前を名乗っていなかったことに気付く。話題を変えたことで、重苦しい空気がホッとゆるんだ。(中略)闇の中でも、小野田さんの顔がギョッとしてこちらに向いたのが、ハッキリとわかった。僕はそれから、日中復交のイキサツ、日本はどうして台湾と断交せねばならなかったのかという疑問をくわしく述べた。「僕としては、中国ともう一度断交しろなどというつもりはない。しかし、台湾とも国交を回復しろ、そういう気持ちなんです」小野田さんは黙って聞いている。話をしながらも、いま僕のやろうとしたことは、(中略)じつをいうと、小野田さんあんたを政治的に使うつもりでいたことを。そして、小野田さんがギョッとして振り向いた瞬間に、僕は自分の先の考えを撤回していたような気がした。卑怯なまねはできない。・・・・)

読んでみて、すこし上の世代とはいえ年齢ではそう変わらないそういう青年がいたんだということに改めて考えさせられたのだ。発見救出を単なる、物好きの成れの果て、偶然さという風に捉える人もあるかもしれない。しかし、こうも考えられはしまいか。小野田少尉からみて、天真爛漫の青年のどうしようもない安心感。これにまいったのではないのかと。青年の問いかけは小野田個人にしているのではないことを。小野田個人へというよりは日本軍人にだ。朴訥とはいえ、青年から発するのはあくまでも日本軍人の対面までを慮って、出てき易いように精一杯の知恵を搾り出そうとしているかのような、考え抜かれた一言一言なのだ。戦争を想像したってわからない、でも大変なイクサを乗り越えて、とにかく生き延びてこられた方なんだという、ある意味先輩に対する謙譲の美徳が端々に。そういう精神の持ち主でもあったからこそ少尉は心をひらいたのではあるまいか。一年数ヶ月前の救出劇のアクシデントというが、戦友小塚一等兵の死は、小野田少尉にとってはまだ、戦争は終わってやいなかったのだから。冒険家=天真爛漫な自由人・そのようにくくられがちなところのあるなかで、たしかに読んでみると自由奔放な旅行記でもあるので多少、辟易してしまう部分もあるのだが、やはり旅行記の愁眉は小野田少尉と遭遇を果たした彼のたぐい稀な飾らない気質と人懐こさが伺えるところだった。「僕は小野田寛朗さんに発見された青年です。」と自虐的ジョークを発している姿も浮かぶ。平成の青年、比して鈴木青年と同年代のおかれている状況はどうだろう。昨今の川柳が時代を多少反映しているとみるなら、このような雰囲気、自分も思わずわらったりしてしまったがよくひねられているなあと感ずるものを列記してみただけでもこのような川柳が。(組織力 なでしこ並の 妻娘)(KARAブーム おれの財布も からブーム)等々
これはまだ微笑ましいのだが。(エコ給与 ハイブリッドな 仕事量。)(「内定です」 返った言葉が 「マジッスカ!」)とくると笑ってばかりもいられない。政治も成長戦略がなければ、経済が縮小均衡、均衡ならまだいいが、泥をかぶらないという風潮も蔓延してくれば、お互いが責任を取らされないようにと、仕事もあんまりしないのに社内遊泳術だけは敏感に。チマチマとした社会。お互いがギスギスの社会になってゆけば若者も浮かばれまい。天真爛漫にはいかなくとも、例えば同じ自虐的トーンにしても心の底から笑える、そういった、少しでもそういう兆しを見つけていきたいものだとも。ちなみに小野田少尉を見つけた発見者の鈴木青年はその後も破天荒な冒険家として雪男を探しに行くと出かけ1987年雪山ダウダギリで遭難され、帰らぬ人に(38歳)。関連キーワード/『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月/たった一人の30年戦争・小野田寛郎著。関連動画_小野田寛郎/1_8 youtube 

 

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